東京地方裁判所 平成5年(ワ)24552号 判決 1995年12月20日
原告
川田寛子
ほか四名
被告
北山保
ほか一名
主文
一 被告らは、各自、原告川田寛子に対し、金二〇一六万〇九八〇円、同川田英明及び同武井敏子に対し、それぞれ金一〇〇八万〇四九〇円、同川田マツミに対し、金二二〇万円及びこれらに対する平成二年七月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは、各自、原告株式会社川田工務店に対し、金一九二万円及びこれらに対する平成六年五月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、これを三分し、その二を原告らの負担とし、その余は被告らの負担とする。
五 この判決は、第一項及び第二項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告らの請求
一 被告らは、各自、原告川田寛子(以下「原告寛子」という。)に対し、金三六八七万九八〇七円、同川田英明(以下「原告英明」という。)及び同武井敏子(以下「原告敏子」という。)に対し、それぞれ金一八四三万九九〇三円、同川田マツミ(以下「原告マツミ」という。)に対し、金四〇〇万円及びこれらに対する平成二年七月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは、各自、原告株式会社川田工務店(以下「原告会社」という。)に対し、金三二三七万八二七八円及びこれらに対する平成六年五月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 争いのない事実
1 本件事故の発生
(一) 事故日時 平成二年七月二〇日
(二) 事故現場 神奈川県津久井郡相模湖町小原五三七番地高速自動車国道中央自動車道西宮線下り四二・一キロポスト先道路上
(三) 被告車 事業用大型貨物自動車
所有者 被告塩谷運輸建設株式会社(以下「被告塩谷運輸建設」という。)
右運転者 被告北山保(以下「被告北山」という。)
(四) 川田車 自家用普通貨物自動車
右運転者 訴外川田等(以下「訴外等」という。)
(五) 事故態様 被告北山が、被告車を運転して時速約一〇〇キロメートルで直進中、進路前方で事故によつて停止中の訴外西本幸一郎運転の普通貨物自動車(以下「西本車」という。)の発見が遅れて、被告車左前部を同車右後部に衝突させ、その衝撃で西本車を左前方に逸走させ、左前方の路側帯に停止中の川田車の前部に西本車の左前部を衝突させ、訴外等に両側血胸、腹腔内出血等の傷害を負わせ、平成二年一一月三〇日、訴外等は、右傷害により死亡した。
2 責任原因
(一) 被告北山
被告北山は、前方を注視して進行すべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、漫然と時速約一〇〇キロメートルで進行した過失により、本件事故を惹起した過失があるので、民法七〇九条により、損害を賠償する義務がある。
(二) 被告塩谷運輸建設
被告塩谷運輸建設は、被告車の保有者であるから、自動車損害賠償保障法三条により損害を賠償する義務がある。
3 相続等
(一) 原告寛子は、訴外等の妻、原告英明及び同敏子は、訴外等の子であり、唯一の相続人であるから、原告寛子は二分の一、原告英明及び同敏子は、各四分の一ずつ、訴外等の損害賠償請求権を相続した。
(二) 原告マツミは、訴外等の母親であるから、民法七一一条により、被告らは、原告マツミに対し、損害を賠償する義務がある。
二 争点
1 訴外等の逸失利益を算定する基準となる訴外等の収入の額
2 本件事故によつて原告会社に損害が生じたか否か
3 過失相殺
第三争点に対する判断
一 訴外等の逸失利益を算定する基準となる訴外等の収入の額について
1 原告らは、訴外等は、年額一〇二〇万円の収入を上げていたので、一〇二〇万円を基準に逸失利益を算定すべきであると主張する。原告らの主張の趣旨は明確ではないが、平成二年度の原告会社からの役員報酬の月額六〇万円の一二か月分の年額七二〇万円に、平成二年度の原告寛子の役員報酬の年額三〇〇万円を加算しているものと推測される。これに対し、被告らは、訴外等の年収は原告会社からの月額六〇万円の役員報酬の年額の七二〇万円であり、七二〇万円を基準に逸失利益を算定すべきであると主張している。
2(一) 甲四七、四八の一及び二、四九の一ないし四、五〇ないし五四、原告寛子本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
原告会社は、土木建築工事の請負、計画、設計、監督等を目的とする株式会社であり、訴外等が個人名で営業していた工務店を、平成元年六月に法人化したものである。訴外等が個人で川田工務店を営業していた昭和六三年度は、訴外等の営業収入金額は一億八五二九万二四三七円で、原告寛子と同英明分の各二七〇万円の専従者控除後の所得金額は八〇四万六六八七円であつた。また、年度途中に原告会社を設立した平成元年度は、訴外等の営業収入金額は九〇三八万四三六三円、個人営業の所得が九九万四六四〇円、原告会社からの役員報酬が三一五万円で、総所得金額は三〇三万三二四〇円であつた(原告寛子分として八五万円、同英明分として九〇万円の専従者控除後の所得)。
原告会社設立に際し、訴外等が八〇株、原告寛子が二〇株、原告英明が二〇株の各株主となり、訴外等が代表取締役に就任し、原告寛子が監査役に就任した。訴外等は、原告会社を設立した当初は月額四五万円、その後、平成二年度からは月額六〇万円の役員報酬を受領しており、本件事故当時の訴外等の役員報酬は年額七二〇万円であつた。なお、原告会社の会計年度は、毎年三月一日から翌年の二月末日までである。
原告寛子は、訴外等が個人で川田工務店を営業していたころから、川田工務店の事務や経理関係の仕事に従事しており、訴外等から賃金こそ得ていなかつたものの、前記のとおり、訴外等の確定申告に際し、原告寛子分の専従者控除として、昭和六三年度には二七〇万円、平成元年度には八五万円の各控除が行われていた。原告寛子は、原告会社設立に際し、一七パーセントの株式を保有する株主となると共に、監査役に就任し、引き続き原告会社の事務、会計等の業務に従事していた。原告寛子は、平成元年度、平成二年度及び平成三年度は、毎月二五万円の年額三〇〇万円、平成四年度は三〇六万円、平成五年度は三二四万円の役員報酬の支給を受けていることになつている。
また、原告英明は、二級建築士の資格を有し、高校を卒業後、訴外等と共に、その従業員として工務店の業務を行い、原告会社設立後は、訴外等及び原告寛子と共に原告会社の業務に従事していたものである。原告英明も、訴外等が個人で川田工務店を営業していたころは、訴外等から賃金を受け取つていなかつたが、原告寛子と同様に、訴外等の確定申告に際し、原告英明分として、昭和六三年度は二七〇万円、平成元年度には九〇万円の各専従者控除が行われた。そして、原告会社設立後も、原告英明は、原告会社で従業員として稼働し給与を受給していた(原告英明の給与は証拠上明確ではないが、原告会社の確定申告書によれば、従業員給与として、平成元年度に二一五万円、平成二年度には七〇万円が、それぞれ支給されており、原告英明の給与額は右各金員ではないかと推測される)。原告英明は、訴外等が死亡後、原告会社の代表取締役となり平成二年度は年額三四〇万円、平成三年度は年額三六〇万円、平成四年度は三六五万円、平成五年度は四六九万円の役員報酬を得ている。
(二) これらの事実によれば、原告寛子は、訴外等が、個人で営業していた時代から実質的に川田工務店の業務に従事しており、その対価相当分を考慮して訴外等の確定申告の際に専従者控除が行われていたと認められる。そして、原告会社設立後も、原告寛子は、実際に原告会社の業務に従事していたのであり、名目的な立場にあつたものではなく、年額三〇〇万円の役員報酬は、原告寛子の労働に対する対価もしくは利益配当的金員として支給されていたものと認めるのが相当である。原告寛子は、本人尋問において、原告寛子の役員報酬は、実際に支給されていたのではなく、節税上、支給した扱いにしているに過ぎないと供述しているが、仮に、原告寛子の役員報酬分が、節税上、支給した扱いにしているに過ぎないとしても、そのことによつて、原告寛子の労働に対する対価の存在が否定されるものではなく、原告寛子が、実質的に原告会社の業務に従事していたとの認定を覆すに足りるものではない。したがつて、原告寛子の報酬を、訴外等の収入と同視して、これを訴外等の収入に加算して訴外等の逸失利益を算定することは到底容認できるものではない。
また、訴外等が個人名で川田工務店を営業していた昭和六三年度は、訴外等の営業収入金額は一億八五二九万二四三七円で、原告寛子と同英明分の各二七〇万円の専従者控除後の所得金額は八〇四万六六八七円であつたことに鑑みると、訴外等は、年間七二〇万円程度の労務を提供し得る能力を有していたと認められ、訴外等の役員報酬の年額七二〇万円は、その全額が、訴外等の労務の対価として支給されていたと認めるのが相当である。
以上の次第で、訴外等の収入は、被告ら主張のとおり、原告会社から支給されていた月額六〇万円の役員報酬の年額の七二〇万円と認めるのが相当であり、この年額七二〇万円を基準に逸失利益を算定するのが相当である。
二 原告会社の損害発生の有無
1 役員報酬支払い分について
(一) 原告会社は、訴外等が本件事故によつて受傷し、死亡するまでの五か月間、訴外等が勤務していないにもかかわらず、訴外等に対し、合計二二五万円の役員報酬を支給したので、原告会社は、同額の損害を負つたと主張している。
(二) 原告寛子本人尋問の結果、甲四九の二及び甲五一によれば、平成二年三月から同年一一月までの間に、原告会社は訴外等に対し、役員報酬を支払つていることが認められる。
ところで、原告会社の源泉徴収簿である甲四九の二では、平成二年三月から同年一一月までの間に、五二五万円が支給されたことになつている。一方、原告会社の税務申告書である甲五一によると、平成二年三月から同年一一月までの間に、原告会社は訴外等に対し、四七五万円の役員報酬を支払つた旨が記載されている。甲四九の二が、いわば、原告会社の内部資料である原告会社の源泉徴収簿に過ぎないのに対し、甲五一は、原告会社の税務申告書であり、対外的に原告会社の経営内容を公表する性格の書面であるのであり、その証明度は、甲四九の二よりも甲五一の方が高いと言える。他に、原告会社が訴外等に対し、平成二年三月から同年一一月までの間に、役員報酬として合計五二五万円を支給したと認めるに足りる証拠はないので、原告会社は訴外等に対し、平成二年三月から同年一一月までの間に、四七五万円の役員報酬を支払つたと認めるのが相当である。
そして、訴外等は、平成二年三月から本件事故が発生した同年七月までの間は、業務に従事し、その対価として報酬を受け取つていたが、本件事故後は死亡するまでの間、一度も業務に従事することなく死亡したので、右の四七五万円から、平成二年三月から同年七月までの間の役員報酬の合計三〇〇万円を控除した差額である一七五万円は、訴外等が就労せず、訴外等の労務という利益を享受していないにもかかわらず、原告会社が訴外等に対して支払つた報酬であると認められる。したがつて、右一七五万円は、本件事故によつて原告会社が負つた損害と認められる。
2 原告会社の営業損の有無
(一) 原告会社は、「原告会社は、訴外等が存命中の平成元年六月九日から平成二年二月二八日までの間に、一四万四八一二円の利益を上げており、これを一年に換算すると平成二年度には一九万九四五八円の利益を上げられたと推測される。ところが、原告会社は、訴外等が本件事故で死亡したため、平成二年三月一日から平成三年二月二八日までの間(平成二年度)に八七万六一〇八円の損失を負つたので、その差額一〇七万五五六六円の損害を被つた。同様に、平成三年度には九二八万〇九一四円、平成四年度には九四八万〇三七二円、平成五年度には五一四万五三三六円の損害を被つた。原告会社における訴外等の業務には代替性がなく、訴外等と原告会社が経済的に一体をなす関係にあつたので、被告らは、本件事故によつて負つた原告会社の右合計三二三七万八二七八円の損害を賠償すべきである。」と主張している。
(二)(1) 甲四七、四八の一及び二、四九の一ないし四、五〇ないし五四、原告寛子本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
前記のとおり、原告会社は、土木建築工事の請負、計画、設計、監督等を目的とする株式会社であり、訴外等が個人名で営業していた工務店を、平成元年六月に法人化したものである。原告会社では、他の設計事務所から回つてくる仕事と個人の顧客からの仕事の双方を扱つていた。他の設計事務所から回つてくる仕事については設計図が完成しているため、見積もりから完成までの仕事を行ない、個人の顧客からの仕事については、設計も含めた業務を行つていた。原告会社は、仕事を受注すると、大工やとび職等の職人を個別に雇い入れ、工事を完成させていた。これら原告会社の業務状況は、設計業務が減少した以外は、訴外等の死亡前と死亡後では変化はない。
原告会社の純売上高は、平成元年六月に法人化した後の平成元年六月九日から平成二年二月末までの九か月間(前記のとおり、原告会社の会計年度は三月一日から翌年の二月末日までである)が一億二八二三万四三〇五円、平成二年度が一億一九二〇万六一九八円(純売上であり、営業外益である、社団法人中小企業経営者災害補償事業団からの災害補償金二〇〇〇万円余りの雑収入は含まれていない。)、平成三年度が一億四四一八万九〇二六円、平成四年度が九〇〇二万三五九七円、平成五年度が八九〇四万八六二〇円である。なお、平成元年度は、年度途中で原告会社が設立され、原告会社の営業期間が九か月間であることを考えると、これを一二か月間に換算すると平成元年度の原告会社の純売上は約一億八〇〇〇万円と推測される。また、原告会社の所得額は、平成元年度は三三万八七〇四円の黒字だつたが、訴外等が本件事故で入院し、死亡した平成二年度は六九万九四一一円の赤字となり、その後も平成三年度は一四二四万四五六一円、平成四年度は九五八万四四四五円、平成五年度は四八八万一七〇三円の赤字となつている。
前記認定のとおり、原告会社では、訴外等が代表取締役となり、業務全般を遂行していたが、原告寛子も監査役に就任し、原告会社の事務、会計等の業務に従事し、役員報酬を取得していた。さらに原告英明も、二級建築士の資格を有し、原告会社の従業員として、訴外等と共に原告会社の業務に従事しており、原告寛子及び同英明の両名とも、実質的に原告会社の業務に従事していた。
(2) これらの事実によると、訴外等が本件事故で受傷し、入院して、稼働できなかつた平成二年度、死亡直後の平成三年度は、訴外等の存命中に比して、原告会社の純売上が低下し、所得も黒字から赤字に転じているのであつて、原告会社の業務や売上に訴外等の労務が大きく影響を与えていたことは否定できない。
しかしながら、原告英明も、二級建築士の資格を有し、訴外等と共に原告会社の業務に従事していたのであり、また、原告寛子も経理等の原告会社の業務に従事していたのであつて、そのため、訴外等が死亡した後も、赤字になつているとは言え、原告会社は年間一億円以上の純売上を上げていたのであり、その純売上は、訴外等が存命中の平成元年度の推定純売上額の六割を超えている。しかも訴外等が、本件事故により五か月間業務に就けずに死亡した平成二年度は、純売上は一億一九二〇万六一九八円に減少しているが、翌平成三年度には、一億四四一八万九〇二六円と前年度よりも純売上が増加しており、訴外等存命中の純売上と対比した純売上の低下率は減少している。さらに、平成元年度の推定純売上額の約一億八〇〇〇万円からの純売上の減少額は、平成二年度が約六〇〇〇万円、平成三年度が約三六〇〇万円であり、訴外等が個人で川田工務店を営業していた昭和六三年度の売上額である一億八五二九万二四三七円には遠く及ばない。もし、訴外等の業務に代替性がなく、原告会社が訴外等の労働力のみで総売上を上げていた個人営業会社であるならば、訴外等死亡後は、原告会社は、売上自体をほとんど上げられず、訴外等が死亡した後の売上額の低下は、訴外等の個人営業時代の売上額に近い額になると推測される。ところが、原告会社は、右のような多額の純売上を上げているのであり、このことは、とりも直さず、訴外等が一人で稼働し、原告会社が、訴外等の労働力のみで売上を上げていた個人営業的会社ではなく、原告寛子及び原告英明らの労働力を含めた共同体によつて売上を上げており、会社組織としての実態を備えていたことの証左といえる。
また、平成二年度以降に原告会社が赤字に転じた内訳を見てみると、製造原価と一般管理費等の合計額が、平成元年度の一億二七一五万五七七二円から平成二年度には一億三七九七万八一〇六円に、平成三年度には一億五七八五万五九七一円にと、それぞれ増加していることが認められ、原告会社が平成二年度以降に赤字に転じた原因は、純売上の減少もさることながら、このような経費の変動が与えた影響の方が大きいと考えられる。このような経費の増加は、景気変動による影響が否定できず、訴外等が本件事故によつて死亡していなければ、原告会社は平成二年度以降も赤字に転じていなかつたとは認められないので、訴外等が本件事故によつて死亡したことと、原告会社が平成二年度以降赤字になつていることとの間に、相当因果関係があるとは認められない。
以上の次第で、原告会社における訴外等の業務に代替性がなく、訴外等と原告会社が経済的に一体をなす関係にあつたとは認められず、訴外等が本件事故によつて死亡した結果、原告会社に営業上の損害が生じたとは認められないので、原告会社の主張は認められない。
(3) なお、原告会社は、訴外等の労務の対価として年額七二〇万円の役員報酬を支払つていたのであるから、仮に、訴外等と原告会社が経済的に一体をなす関係にあり、訴外等が本件事故によつて死亡したことで、原告会社に営業上の損害が生じたと認められるとしても、原告会社の損害額は、訴外等の労務の対価である年額七二〇万円を基礎とした訴外等の逸失利益の額を超えるものではないと認められる。そして、代表者個人の損害は、事故によつて直接生じた損害であるのに対し、会社の損害は間接的なものに過ぎないから、直接損害である訴外等個人の逸失利益を請求し、これが容認される本件においては、原告会社が重ねて営業上の損害を請求、認容できないと解するのが相当である。
したがつて、いずれにしても、原告会社の営業損の請求は認めることができない。
三 過失相殺
1 被告らは、「川田車は、道路左側の路側帯に被告車が進行してくる八王子方面を向いて停車中に本件事故に遭い、訴外等が死亡したが、川田車は、被告車以外の他の車両と衝突した結果、路側帯に停止した可能性があり、右のような川田車の停止状況を見ると、大幅な過失相殺が認められるべきである。」と主張する。
2 前記争いのない事実によれば、本件事故は、被告ら主張のとおり、被告北山が、被告車を運転して時速約一〇〇キロメートルで直進中、進路前方で事故によつて停止中の西本車の発見が遅れて、被告車左前部を同車右後部に衝突させ、その衝撃で西本車を左前方に逸走させ、被告車が進行してくる八王子方面を向いて左前方の路側帯に停車中の川田車に衝突させた事案と認められるが、甲六ないし四六、乙一、二によつても、川田車が道路左側の路側帯に被告車が進行してくる八王子方面を向いて停車するに至つた経過が確定できないため、証拠上、川田車が左側路側帯に停止していたことに関し、訴外等に過失があつたとは認められないと言わざるをえない。乙二中には、川田車が左側路側帯に停止するに至つた経過について、訴外等にハンドル、ブレーキ操作の過失があつた旨記載されているが、同じく乙二には、訴外等にハンドル、ブレーキ操作の過失があつた点については、単に推定に過ぎない旨も記載されており、乙二をもつて、川田車が左側路側帯に停止するに至つた経過について、訴外等にハンドル、ブレーキ操作の過失があつたと認定することはできない。このため、川田車が、被告車以外の他の車両と衝突した結果、路側帯に停止した可能性があるので、これを考慮して過失相殺すべきであるとの被告らの主張は採用できない。
そして、被告北山の前方不注視の過失によつて西本車に追突し、西本車を逸走させて路側帯に停止中の川田車に衝突させ、訴外等を死亡させたという事故態様に鑑みると、本件事故の発生に関して訴外等に過失があつたとは認められないので、本件では過失相殺をするのは相当ではない。
よつて、被告らの主張は採用できない。
第四損害額の算定
一 訴外等の損害
1 入院付添費 六〇万三〇〇〇円
原告寛子本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、訴外等は、本件事故後、死亡するまでの一三四日間、入院加療を要したが、右入院期間中、付添看護を要し、その間、原告寛子が付添つたことが認められるところ、その費用は一日当たり四五〇〇円と認めるのが相当であるので、入院付添費は六〇万三〇〇〇円と認められる。
2 入院雑費 一六万〇八〇〇円
弁論の全趣旨によれば、右入院期間中、入院雑費として一日当たり一二〇〇円を要したことが認められるので、入院雑費は一六万〇八〇〇円と認められる。
3 葬儀費用 一〇〇万円
弁論の全趣旨によれば、本件と因果関係の認められる葬儀費は一〇〇万円と認められる。
4 逸失利益 三八二八万八一六〇円
前記認定のとおり、訴外等は、本件事故当時、年額七二〇万円の収入を得ていたので、死亡時の五五歳から就労可能な六七歳にいたるまでの間、毎年七二〇万円の得べかりし利益を喪失したと認められる。
次に、甲四七、四八の一及び二、四九の一ないし四、五〇ないし五四、原告寛子本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、訴外等は、本件事故当時、原告寛子及び原告英明と同居していたこと、原告寛子は、前記認定のとおり、原告会社の業務に従事し、年間三〇〇万円の報酬を得ていたこと、原告英明も、原告会社で業務に従事し、賃金を得ていたこと、原告マツミは、鹿児島県に居住し、訴外等とは同居していなかつたこと、平成元年の訴外等の確定申告には、原告マツミだけが扶養家族として計上されていることが認められ、これらの事実によれば、訴外等の逸失利益の算定に際しては生活費を四〇パーセント控除するのが相当である。
したがつて、訴外等の逸失利益は、七二〇万円に、生活費を四〇パーセント控除し、五五歳から六七歳まで一二年間のライプニツツ係数八・八六三を乗じた額である金三八二八万八一六〇円と認められる。
5 慰謝料 二一六七万円
証拠上認められる諸事情に鑑みると、本件における訴外等の慰謝料は、入院に関しては一六七万円、死亡に関しては二〇〇〇万円の合計二一六七万円が相当と認められる。
6 合計 六一七二万一九六〇円
7 損害のてん補 二五〇〇万円
当事者間に争いがない。
8 損害額 三六七二万一九六〇円
二 相続
原告寛子は二分の一、同英明及び同敏子は各四分の一ずつを相続したので、各原告の損害額は、原告寛子が一八三六万〇九八〇円、同英明及び同敏子が各九一八万〇四九〇円となる。
三 原告マツミの損害 二〇〇万円
証拠上認められる諸事情に鑑みると、本件における原告マツミの固有の慰謝料は二〇〇万円が相当と認められる。
四 原告会社の損害 一七五万円
前記認定のとおり、原告会社の損害は一七五万円と認められる。
五 弁護士費用
本件訴訟の難易度、審理の経過、認容額その他本件において認められる諸般の事情に鑑みると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は、原告寛子につき金一八〇万円、同英明及び同敏子が各九〇万円、原告マツミが二〇万円、原告会社が一七万円が相当と認められる。
六 原告らの損害合計
1 原告寛子 二〇一六万〇九八〇円
2 原告英明及び同敏子 一〇〇八万〇四九〇円
3 原告マツミ 二二〇万円
4 原告会社 一九二万円
第五結論
以上のとおり、原告寛子の請求は、被告らに対し、各自金二〇一六万〇九八〇円、同英明及び同敏子の請求は、被告らに対し、各自金一〇〇八万〇四九〇円、同マツミの請求は、被告らに対し、各自金二二〇万円及びこれらに対する本件事故の日である平成二年七月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で、原告川田工務店の請求は、被告らに対し、各自金一九二万円及びこれに対する請求の趣旨拡張書の送達の日の翌日である平成六年五月二一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で、それぞれ理由があるが、その余の請求はいずれも理由がない。
(裁判官 堺充廣)